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白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました
白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました
Auteur: 夢見叶

第1話 神前確認式は静かに燃える

Auteur: 夢見叶
last update Date de publication: 2026-01-22 21:15:49

 公正契約大神殿の天井には、過去の「大案件」の名前が刻まれている。

 戦争終結条約、王位継承の調停、神殿と王家の和解。

 その一番端に、空いたままの枠が一つ。

(……たぶん、あそこに今日の案件が増えるんだろうな)

 私は祭壇の前で、他人事みたいに思っていた。

 白金の指輪が、左手の薬指でかすかに浮いている。サイズがわずかに合っていなくて、指を動かすたびに、きゅっと皮膚をこすった。

《指輪、やっぱり半号大きいですねえ》

 頭の内側で、聞き慣れた声が笑う。

 公正契約の女神。今日の式の主催者であり、私の上司であり、この世界で一番、条文にうるさい存在。

(今、そのツッコミいります? 女神様)

《大事ですよ? サイズが合ってない指輪って、だいたいこの案件、最初から微妙ですよってサインですから》

(縁起でもないことを、神様が言わないでください)

 私は口元だけを上げて、外からは分からないように息を吐いた。

 祭壇の背後には、光の板が何枚も重なって浮かんでいる。そこに王太子レオン殿下との婚約契約の条文が、ゆっくりスクロールしていた。

「互いの名誉を守ること。王国と神殿の協力関係を維持すること。聖女としての務めを最優先すること……」

 中央の神官が、祝詞のような調子で読み上げていく。

《はいはい、前置きの綺麗なところですね》

(女神様、声、被ってます)

《聞こえるのは聖女様だけですから。安心してツッコミどうぞ》

(……ツッコまないといけないんですか)

《心の健康のためにどうぞ》

 そんなやり取りをしているあいだも、式は進んでいく。

 高い柱には祈りの絵ではなく、細かな文字が刻み込まれている。壁の装飾も、天井のレリーフも、すべて条文の断片で埋め尽くされていた。

(契約に特化した神殿、というか……巨大な契約書ですね、ここ)

《褒め言葉として受け取っておきます》

 祭壇前の床には、円形の魔法陣ではなく、契約書レイアウトの線が描かれていた。見出しの位置、条文の欄、署名欄。

 私と、その隣に立つレオン殿下は、署名欄にあたる場所に立っている。

「……本日は、王太子殿下と聖女リディア殿との婚約契約の履行状況についても、神前にて確認し――」

 神官が言いかけたところで、隣から低い声が割り込んだ。

「形式通りで構わない。その必要はないだろう」

 レオン殿下の横顔は、絵画のように整っている。

「……殿下。『その必要はない』とは、どの部分についてでしょうか」

 台本にはない問いが、つるりと口からこぼれた。

 私は基本的に、波風を立てない聖女として教育されてきたのに。

「実務の細かい確認などだ。ここは祝福の場だろう」

 レオン殿下は、私ではなく前方を見たまま答えた。

「そうですね。ここは祝福の場です」

「ならば――」

「だからこそ、契約の履行状況は、女神様に正しく報告した方がいいと思います」

 正面を向いたまま、私は微笑みを崩さない。

 殿下の視線が一瞬だけこちらに向き、すぐ前へ戻った。

《……ログ的には、なかなか良いツッコミでした》

(褒めても何も出ませんよ)

《分かってますよ。ログが増えるだけです》

 胸の奥には小さな棘が刺さったままだ。

 今さら、細かい確認は不要。

 三年間の自分の生活を、そう一言で片付けられた気がして。

「聖女殿。……王太子殿下のご負担も大きい。式は円滑に進めたいのだ」

 前列から、王様が穏やかな声を投げてくる。

「もちろん、陛下。私は、形式通りで構いません」

 私は一礼し、定型の言葉を返した。

 それが喉を通る間、掌の中で自分の爪が痛い。

《……これは、あとで教材にしましょうか》

(教材?)

《形式通りで構いませんと言っている人ほど、だいたい限界のログが溜まってるって話です》

(女神様、そういう本気の分析を式の最中にしないでください)

《仕事中なので》

 光の板の端には、私の横顔が映っていた。理想的な角度で首を傾け、微笑む聖女の顔。

 前の世界よりはずっとマシだ、と自分に言い聞かせてきた三年間の気配が、淡く胸に浮かんで消える。

「聖女リディア」

 名前を呼ばれ、私は意識を現在に戻した。

 神官がこちらを向き、厳粛な声で告げる。

「これより、公正契約の女神の御前にて、婚約契約の確認を行う。異議はあるか」

「異議は、ありません」

 反射的にそう言いかけて、私は一瞬だけ言葉を飲み込んだ。

 頭の奥で、女神が「おや」と小さくつぶやく。

《一応、聞きますけどくらいのニュアンスでいいですよ?》

(……女神様。異議、出していいんですか)

《契約確認ですよ? 異議を出してはいけない契約確認って、すでに破綻してませんか》

(なるほど)

 喉の奥で笑いを押し込む。

「……契約内容の確認、よろしくお願いいたします」

 少しだけ言い回しを変えて、私は答えた。

 神官がうなずき、祭壇に向き直る。

《では、形式通り。ログの確認から入りましょうか》

 女神の声が、頭上から本堂全体に染み込むように響いた。

 光の板が一斉に切り替わる。

 王太子婚約契約・履行ログ。

 淡い文字が浮かび上がり、過去三年間の記録が、薄い光の頁になって重なっていく。

「ログ……?」

 前列の重臣の誰かが、小さくつぶやいた。

 隣でレオン殿下が、わずかに眉をひそめる。

「本日の式は、祝福の再確認だけではありません」

 女神の声が、静かに告げる。

《三年間のログをもとに、この契約をどう扱うかを確認する場でもあります》

(どう扱うか……)

《はい。続行するのか、条件を修正するのか、あるいは――》

 女神は、そこで言葉を切った。

「女神よ」

 王が、わずかに前のめりになって声を上げた。

「本日は、内外に向けて婚約を示す儀のはず。……その、ログとやらを読み上げる必要があるのか?」

《ありますよ、陛下》

 女神は即答した。

《契約というのは、祝いたいところだけを拾っていても、公平とは言えませんから》

 その言葉に、広い本堂の空気が、少しだけひやりと変わる。

 王妃が、扇を持つ指先に力を込めたのが、ここからでも分かった。

「では、まず三年前の、婚約締結当日のログから」

 光の板の一枚が、すっと前にせり出す。

 夜の回廊。高い窓から差し込む月光。

 見覚えのある風景が、薄い光の中に浮かび上がる。

(……ここから再生します?)

《もちろん。シリーズ的に、とても大事な一言がありますからね》

(女神様、その言い方やめてください)

《大丈夫です、まだ単語しか出しませんから》

 女神が楽しそうに言う。

 私の胃が、きゅっと縮む。

《お前を――》

 あの夜、彼が口にした、最初の二文字が、頭の内側でくっきりと蘇る。

 でも、光の板の映像は、その瞬間でぷつりと切れた。

《……と、いうところまでが、本日の事前ダイジェストです》

 女神の声が、さらりとオチをつける。

 本堂のあちこちから、安堵とも困惑ともつかない息が漏れた。

「……続きは、読まないのか」

 レオン殿下が、小さく問う。

 彼の声には、わずかな苛立ちと、ほんの少しの不安が混じっていた。

《本番は、もう少し後でまとめて読みましょう。今日はまず、この三年間が契約としてどう扱われるかの全体像からです》

 女神は柔らかくかわす。

《聖女様》

(はい)

《三年前のあの夜のこと、少しだけ振り返っておきますか》

(……ここでですか)

《ええ。国のための契約に自分を合わせ続けた三年間の話ですから》

 女神の声が、ほんの少しだけ真面目になる。

 私は、わずかに顎を引いた。

(分かりました。……では女神様。最初のログから、お願いします)

《承りました。では、あなたの朝にまだタイムカードも、私の声もなかった頃の話から、ゆっくり再生していきましょう》

 天井に刻まれた無数の契約名が、光に縁どられる。

 空いていた最後の枠が、淡く輝いた気がした。

 三年前の、自分の選択。

 それが今日、ここで「私のために終わらせる契約」に変わるかもしれないことを、このときの私は、まだ自覚していなかった。

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     公正契約大神殿の大聖堂は、どう見ても巨大な契約書だ。 柱にも天井にも条文が刻まれ、その真ん中で私だけが、生身のまま立っている。(やばい、立ったまま寝る……) 昨夜から祈願と相談と書類確認を詰め込まれ、仮眠もろくに取れていない。 そこへ「どうしても今日でないと困るんです」という有力貴族の結婚式がねじ込まれて、私の稼働ログは朝から真っ赤だった。「聖女リディア様、準備を」 補助神官の声。少し後ろでは、若手書記官ティオが紙束を握りしめて震えている。「し、聖女様……式のあとに『予定外祈願』が3件……」「聞かなかったことにしようか。今は目の前の式だけ」「す、すみません……!」 祭壇の前には新郎新婦、客席にはぎっしりと上流階級。 その視線を感じながら、私は深呼吸をした。《本日の稼働時間、すでに推奨上限の1.5倍ですねえ》 頭の奥で、軽い声が笑う。 公正契約の女神。私の庇護神であり、この世界で一番ログにうるさい存在だ。(女神様、実況は後にしてください)《いえいえ、ログは積み重ねてなんぼですから》 儀式はクライマックスへ進む。「では、公正契約の女神の祝福を——」 大神官長アグナスの声に合わせ、私は両手を掲げた。 契約書レイアウトの魔法陣が光を増し、新郎新婦の足元から淡い金色の光が立ち上がる。(ここでコケたら、式が台無し……) 焦りと眠気で視界が揺れた、その瞬間。《はい、そこまで》 女神の声が、いつもより低く落ちた。《これ以上ログを積んだら、あなたも世界契約もまとめて過労死コースなので、止めます》(世界契約まで過労死は嫌ですね……)《ですよね。では、強制停止》 祝福の光が「ブツッ」

  • 白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました    第20話 橋を渡る人

     西の空が赤紫に沈みかけていた。 契約大橋の石畳には、紙吹雪と花びらの残骸が、湿った色のまま張りついている。さっきまで祝祭だった場所が、今は片付け途中の舞台みたいに静かだ。 遠くの広場からは、まだ人々の声が風に乗って届いてくる。 断片的な噂と、屋台を畳む音が、まだ風に乗って届く。今日一日で「契約」という単語を何度聞いたか分からない。 橋のたもとに立つ私の隣で、低い声がする。「本日の移動経路は、簡易支援契約第3条に基づき、私と護衛隊がご一緒します」 礼服から簡素な外套に着替えたセルジュ様が、いつもの事務的な口調で告げた。少し後ろには、女性騎士と平服の護衛が数名。「……私を一人にしない、条文でしたね」 さっき署名したばかりの文言を、私は口の中でなぞる。 聖女の安全確保のため、原則として単独移動を禁止する。 最低限と呼ぶには、少しばかり手厚い内容だ。(最低限の意味、やっぱりおかしい) 心の中だけでツッコミを入れる。《リディア、稼働状況の確認です》 女神様の声が頭の奥に降ってきた。《本日の精神負荷、平常時比でおよそ5倍。歩行可能ですが、急なイベントは控えましょう》「診断がざっくりしています」 足元を見ると、石畳の一部に古い文字が刻まれている。国と神殿の条文が、何十年も前からここにあるのだろう。夕焼けを受けて、その一行一行がうっすらと光っていた。《契約大橋は、もともと国と神殿の約束を刻んだ場所です。 最近は、個人のログも、少しずつここを通るようになりましたが》「私の三年間分のログも、今日ここを通ったんでしょうか」《ええ。ブラック寄りのやつが、どっさり》 背筋に、ひやりとしたものが走る。 国のため。王家のため。誰かのため。 その言葉で塗りつぶしてきた三年間が、光の粒になって橋の下へ流れていったところを想像してしまう。「……行きましょう」

  • 白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました    第2話 聖女の朝はタイムカードなし

     終電もなければタイムカードもない世界で、私の朝は鐘の音で始まる。 外はまだ夜の色だ。塔の鐘が低く鳴り、冷えた石床が膝に現実的な痛みを返す。女神像の足元でひざまずきながら、私は今日の「案件」を頭の中で並べていた。(今日も死者が出ませんように。変な契約が増えませんように。ついでに、睡眠時間が少しだけ伸びますように)《最後のだけ、だいぶ個人的ですね》 頭の内側で、軽い声が笑う。 公正契約の女神だ。(個人の願いも、契約にしてくれていいんですよ)《「聖女の睡眠時間は最低〇時間保証」ですか。世界契約にするには前例が足りませんね》 そんなやり取りをしながら、私は形式通りの祈りを終えた。

  • 白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました    第17話 聖女に与えられた選択肢

     祭壇の上に浮かぶ光の契約書には、まだ二行の選択肢が揺れていた。 ① 改善案つきで再契約 ② 解消(神前離婚) 女神様の羽ペンが、その二行の間をくるりとなぞる。本堂を満たしていたざわめきが、ぴたりと止まった。《……なお、本件の最終決定権は、聖女リディア様にあります》 静かな声が、高い天井に届いて反射する。 最終決定権。私に。 3年間、「国のため」「王家のため」と言われ続けてきた。 何かを決める時、私の名前が主語になったことは一度もない。

  • 白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました    第15話 お前を愛するつもりはない

     祭壇の上で、女神様の羽ペンがくるりと回った。《それでは、形式通り――発言ログから抜粋を再生します》 眠たげな声色はいつも通りなのに、本堂の空気だけがきゅっと締まる。石造りの壁も、色ガラスも、息を潜めたみたいに静かになった。 私は、膝の上で組んだ指に力を込めた。冷たく汗ばむ手のひらが、手袋越しにも分かる。(大丈夫。これは、三年間かけてここまで積んだログの話) 天井の契約文様が淡く光り、そこから垂れるように、薄い光の板が何枚も降りてきた。半透明の羊皮紙が円を描くように私たちの頭上に立ち上がり、それぞれに文字が浮

  • 白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました    第12話 王宮と神殿、板挟みの日

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